高学歴な人材は本当に優秀なのか?

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いつの時代も成功している業種には一流大学の学生が殺到する。

僕の出身地である岐阜県は繊維産業で栄え、当時は一流大学の学生が殺到していたが今では見る影も無いほどに衰退した。

バブルの頃は不動産や金融機関が流行っていたが、バブルが崩壊すると共に一気に凋落してしまった。

特に現在は少子高齢化による影響で不動産業界は規模を縮小せざる負えない。金融機関もマイナス金利政策以降は厳しい状況が続いている。

日本経済は不況に見舞われ安定志向が広がった結果、大企業が人気を集めるようになった。

しかし、最近では東芝やシャープ、JAL、三菱自動車など絶対に潰れないと言われていた大企業であっても経営難に陥ることが珍しくない時代。

たとえ、倒産しなかったとしても大規模なリストラによって職を失うリスクは高い。

その現状を見て現在は一流大学の学生がより安定している公務員を目指す時代になった。

第一希望は公務員。第二希望は安定してそうな大企業と言ったところだろうか。

高学歴な人材ほど、興味のある分野ではなく安定した仕事を選ぶ。

時代は必ず変わる

しかし、現在が人気のピークを迎えている公務員もまた近いうちに衰退すると僕は考えている。

現在最も人気のある業界は数年後に落ちていくことはあってもそのまま上がり続けることはありえない。

優秀であるはずの一流大学の学生でも凋落していく大企業や公務員を選んでしまうのは何故か。

それは優秀な人間ほど世間からの評価を気にするからだろう。

学校教育では先生に言われたことを言われたとおりにこなし、テストで成績がいい人間ほど優秀だ。

学校で求められることは従順であることと記憶力だったりする。

だから、優秀な学生はたとえ将来性があったとしても無名のベンチャー企業よりも一流企業や公務員を選択することが多い。

結局、最も人気の高い業界に一流大学の学生が集まってしまう。

その時代に最も人気のある業界に就職できれば周りからもちやほやされることだろう。

しかし、時代が変わればその状況も一変する。

ここで重要なのは、時代の変化に追随して自分も変化し続けていくことだ。

安定ばかりを追い求め変化していかなければ衰退するしかない。

特に最も変化の少ない安定した業種である公務員を選択することは長いスパンで考えると危険だ。

日本という国は少子高齢化や大量に積み上げられた国債によって経済的なリスクが高い。

今後もずっと何も起こらないことを前提とした行動は何かが起こったときに必ず破綻する。

そして、周りからちやほやされなくなり気が付いたころにはそこから抜け出せない年齢になっていることだろう。

集まった人材は本当に優秀だったのか

一流大学の学生が集まる大企業であればその高い頭脳でその業界の凋落を止めることは出来なかったのか。

結果的にはそれがうまくいっていないのが現実である。

となると、集まった高学歴な人材は本当に優秀だったのかという疑問が生まれる。

それでも僕は高学歴な人材はそれなりに優秀な人が多いと考えている。

ただし、彼らは自分にとってメリットのないことはやらないし、そもそも企業としての成功にはあまり興味がないのかもしれない。

会社で出世するために重要なのは結果よりも上司からの評価なので、会議で余計なことを言う厄介者になるよりも上層部が決定したことに全力で取り組み、そこそこの結果を出した方がよい。

結局、会社での会議とは名ばかりで誰もたいした発言をすることなく一部の偉い人達だけが口を開く。

出世したい人間は偉い人の発言に積極的に同調してご機嫌を取る。

だらだらと中身のない会議をして「これだけ話し合い(実際は偉い人が一方的に話してただけ)をしたのだから、上手くいくだろう」と根拠のない自信を持って方針が決まっていく。

嫌われない人、議論しない人、人当たりのいい人ばかりが出世して最終的にトップに立ち、会議では責任を押し付け合うようなポジショントークで意思決定されていく世界。

賢い人間ほどそれがよく分かっている。学生時代から培ってきた良い成績をとる方法を会社でも上手く実践していくだけなのだ。

そろそろ優秀な人材の定義を変えることが必要

現在の日本において優秀な人材とは従順で勤勉な高学歴人材である。

彼らは学生時代からいつも高い評価を得ているため、非常にプライドが高い。

自分のことをバカにする人間は許せないし、そもそも世間的にバカにされるような行動を取ること自体が悪だと思っている。

だから彼らはいつも都合よく立ち振る舞う。

優秀な人材の一番の問題はプライドが高く、優秀でないと思われる行動を取りたがらないことだ。

もし、世間での優秀な人材の定義が高学歴であることではなく、より多くのキャリアを持っていることであれば、高卒で仕事にありつけない優秀でない人間が大学に行くという価値観が生まれるかもしれない。転職を繰り返す人も圧倒的に増えるだろう。

大学に行く優秀な人は目的意識が高く、いつも大学の研究室に引きこもるだろう。

ここでいったん結論として高学歴な人材が全員優秀とは言えないが、それでも高学歴な人材ほどポテンシャルが高く優秀な人材が多い。

しかし、彼らは既存の価値観で優秀な人材を目指してそれを演じている。

だから僕はそろそろ優秀な人材の定義を変えなければいけないと考えている。

優秀な人材の定義とは

最後に僕が考える優秀な人材の定義をしたい。

シンプルに考えれば年収が高いことがまず最初に思いつくが、若い人材はそこで評価するのは難しい。

そこで優秀な人材の特徴を3つに絞って考えてみた。

ここでは「判断力や決断力があること」などの分かりにくい抽象的なことを言うつもりはない。

英語が話せること

これについては既に市民権を得ているだろう。

英語の話せない高学歴な人材よりも英語が話せる人材の方が優秀だと考える人もいる。

さらに中国語やスペイン語なども話せればなお良い。

プログラミングが出来ること

別にプログラマーになる必要はないがこれだけITが広く使われている中でプログラムの概念を全く理解していないのは痛い。

世の中は今後もIT化を推し進めていくことは確実だ。

最低限の知識くらいは身に付けておいて損はないだろう。

多くのキャリアを持っていること

一つの会社で学べることは少ない。

学生時代に多くのアルバイトを経験したり、転職を繰り返してさまざまな視点で物事が考えられる人材は貴重だ。

行動力があるという点でも評価したい。

 

これら3つのことに共通することはとりあえず学校で先生の言うことを聞いていれば出来ることではないということだ。

「授業では習わなかったのでC言語について独学で学びシステムを作りました。」なんて言う学生がいればたとえ成績が悪くても即採用して良いだろう。

高学歴な人材が優秀ではないとは言わないが、そろそろ優秀な人材の定義について変えていく時代なのかもしれない。

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