多数決で物事を決めることってよくありますよね。
私が物心付いたころには多数決という仕組みがその集団の中に刷り込まれていて当たり前のように使っていました。
休み時間はみんなで何かしよう。よし何をするのか多数決で決めよう。
そうやって事ある毎に多数決で決めていました。
そんな中で私は多数決に疑問を抱くようになります。
多数決を使ってみんなで決めたことだからそれは正しいという根拠のない理論。
私はいつも少数派の人間でした。
だから多数決をするたびにこれはみんなで決めたことだからって言い出すクラスの中心人物の言葉に黙って従うしかなかった当時の記憶は今も鮮明に残っています。
そして、なにより気づいてしまったのです。
休み時間でやる内容が毎回ドッジボールに決まっていることに笑
多数決で物事を決めることに関して否定する気はない、けれどたまには少数派の別の意見にも耳を傾けて欲しい。
だって多数決で食べるものを毎日ハンバーグにされたら嫌じゃない?笑
もしハンバーグが苦手な食べ物だったらもはや拷問でしょ。
ということで多数決について書かせて頂きます。
1.多数 = 正しいではない
多数決というのはあくまで団体の意思決定を素早く強制的に決めるためのツールです。
納得していなくても多数に従いなさい。空気を読みなさい。ということです。
例えば、今日のディナーは洋食か和食かみたいなことは多数決で決めるといいかもしれません。
多数決には正しいとか間違っているとかなんて関係なく単純に多数の意見を採用しているだけなので正しいかどうかの判断するものではありません。
しかし、何故か僕の知る限りの世間では多数決の意見が正しいと考える人が多いようです。
2.無難な意見ばかりが通りやすい
僕の経験上、多数決で採用される意見というのは基本的に無難な意見であることが多いです。
日本人の国民性でリスクを嫌うからなのか、あんまりよく分からないものには手を出したくないのでしょう。
よくあるのは旅行の計画。多数決で決まるところってだいたい無難なところなんですよね。
そして気づいたら毎回同じところに来てる。。。
学校なんかとくにクラスでいろんな事を決めたりすると思いますが、無難な意見が採用されることが多かったです。
あんまり学生時代のことは覚えていませんが、学校の文化祭でやる劇のテーマ決めをした時のことはなんか覚えています。
いくつか意見が出て最終的に僕のクラスはシンデレラをやることになったのですが、その裏ではどうしてもやりたかったけどそれが叶わなくて悲しい気持ちになっている人もいました。
題名が何だったのか忘れてしまいましたが、演劇部で本が大好きな彼女と仲が良かったので僕は彼女の意見に賛成して票を入れたのですが、結果は3票でした。
こうなることは分かってはいたけど多数決って残酷だなーと感じました。
3.責任が分散されてしまう
まともに議論することなく無理矢理多数決で決めておいてうまくいかなくてもみんなで決めたことだから仕方ないと責任を取る人がいません。
例えば、旅行で行くつもりだったところがたまたま休みだった時にどうしようってなりますよね。
とりあえず、ネットで何か別のところを検索するくらいしか出来ないと思いますが、誰もそれをしません。
責任を取る人がいないとこうなります。
まぁ旅行くらいならいいかもしれませんが、ビジネスの世界では多数決なんて言語同断です。
物事を決めるときはちゃんと議論して決めた方が良い結果が出やすいかと思います。
多数決は
議論もなければ責任を取る人もいない多数決での決定は結果的に周囲の意見に流されたり、冷静な判断が出来なかったり、そもそも真剣に考えずに票を入れてしまう人が多いという問題点があります。
しかし、そんな1票でも真剣に考えて出された1票も同じ1票です。
政治について全く理解のないバカでも同じ一票を入れる権利がある国民投票については正直疑問です。
国会では毎日のように多数決が行われていますが、これでいいのでしょうか。
企業ではめったに多数決が使われることはないそうです。
ビジネス上の重要な意思決定においてきちんと議論せずに多数決で物事を決めるのは責任回避でしかありません。
まともに議論をしていないのだから綿密な分析やリスクの洗い出しなど意思決定に関わる重要な要素をすべて無視して物事を決めるのだから責任者は確信がもてないまま進めていくことになってしまいます。
それでもあなたは多数決を使い続けますか?
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